Gobi March ~Racing The Planet~ 完走記
Racing The Planet
~Gobi March 2010~
3度目の砂漠走に挑戦です。
中国新疆ウイグル自治区ウルムチで開催されたゴビマーチに行って来ました。
1週間分の装備を背負い250kmの距離を踏破するレースです。
コースディレクター曰く『変化のある芸術的なコース』
標高1500mがスタート地点、そこから2200mまで登り、世界で2番目に低い土地、海抜-100mがゴール地点。
標高差2300m、温度差40度、確かに変化のあるコース。
せめてその過酷さを忘れさせるような素晴らしい景色に出会える事を願った。
6月24日
成田発北京経由でウルムチに入る。
中国国際航空の機内持ち込みは5㎏までだが、ロスバゲしたらウルムチでは絶対に手に入らないだろうレース装備品はどうしても機内持込にしたい。
交渉する事30分機内持ち込み許可が出る。
定刻に離陸。
乗り継ぎが2時間の遅れだったが無事ウルムチ空港着。
ウルムチはウイグル族、漢族、ほか小数民族が混在する街だけに看板などは、中国語と一緒にアラビア語も書かれている。ヨーロッパ系やイスラム系の顔立ちの人も多い。
ホテルまでの道すがら車から見える景色は、中東の風情を感じる。 排ガスがすごい。 PM8:00選手集合ホテルに到着。 ホテルから天山山脈か?雪をかぶる美しい山脈が見える。
6月25日
今日は選手集合日。 事務局の用意した部屋へ移ることになる。
空いた時間に町を散策する。市場の果物や釜の直火で焼く丸型パンはおいしそうだが、大会前はお腹をこわさないよう、レースが終わったら羊の肉入りのサモサを食べようと我慢。
コンビニのような店で中国のポテトチップスと珈琲を買う。
珈琲は中国語で“男珈琲”“女珈琲”とある。男は深煎り、女は浅煎りだろう?と女珈琲にする。
部屋で寛いでいると同室となる女性が登場。これからは英語だ!脳トレ開始!
その女性『私はジャクリーン なんとか・かんとか ジャッキーと呼んで』と自己紹介。
私はまず頭の中で日本語にして返事の英語を考える。考えたところで大した会話にならないが、衛星中継の会話のように間ができる。 『ジャンキーね』と私。
即座に『NO!』ジャンキーは薬物中毒者のことですね・・・ジャッキー ごめんなさい。
6月26日
AM11荷物検査。 PM4:00バスでスター地点のキャンプへ向かう。
CO2対策か風力発電や木々がたくさん植林されている。
それにしても経済発展著しい中国。やはり大陸的でワイルド!?
明らかに積載オーバーのトラックやトラックの上に同型のトラックを乗せて走るなんて曲芸まがいだ。 日本では考えられない。ここまでくると拍手ものだ。
途中で大きな体育館の庭でダンスや歌の歓迎セレモニーがあった。
やはり歌も踊りも中東の雰囲気が強い。
しばらく走ると田舎道に入るがこれが大変。
そもそも観光客が行かない所でレースが行われるので、そこに続く山道は大型観光バスなど通る事は想定外のようで、所どころ道がすごく狭い。
車体を軽くする為か横転した時に怪我人を出さない為か定かでないが何度かバスから降ろされる。 タイヤ1本分位の余裕しかない道を通るドライバーのテクニックに皆拍手。
PM8:30キャンプに着く。 標高1500m 私のテントは“テント11”
日の入りは10頃なのでまだ明るい。 遠くにそびえる山々がうつくしい。
夕食はレトルトカレー、ソーセージ、味付け鶉の卵,コーンスープと少し豪華。
食事を済ませたら明日のレースに備え早々に就寝。
山脈に沈んでゆく透きとうるような夕陽が印象的だ。
6月27日
ステージ1 32km
朝食は乾燥餅にスープ。
いよいよスタート! 辛くてキツイ1週間のはじまり!
CP1~2まで景色のあまり良くない山岳地帯を歩く。
CP2からいよいよ登山が始まる。 いままで変化のない道を歩いてきたので、山を仰ぎ見て一気にアドレナリンが噴出。 気持ちよく登る。
登りきると今度は15cmほどの岩の瓦礫を下る。 尻をついて下りる人もいる。
私は楽しくて笑顔で靴の踵を瓦礫に食い込ませて下りて行く。 上機嫌もここまで。
後は山の中腹を15km歩く。 ず~と変わらない山の景色にうんざりした頃に山の下にキャンプが見える! それからは超速歩。 ゴールゲート近くからは走る。
ステージ1無事完歩。
その後、テントにてインタビューを受ける。今回のレース参加者で最年長であることが理由のようだ。確かに還暦越えは私しかいない。
スタッフに日本語の話せる人がいて、砂漠レースを始めたエピソードやトライアスリートである事を話すが、身体と同じように疲れた頭で上手に話せたかは甚だ疑問。
夕飯は乾燥餅にスープ。 食欲のある事に感謝。
標高が2200mなので気温が低く風も強く寒い。 持っている物をみんな着込んで就寝。
朝食乾燥餅、スープ。
AM9スタート。 いきなり登りのコースで息が上がる。
CP1まで15Kmなのでこの登りだと5時間はかかるかと計算していたが3時間30分でゴール。
補給食を食べて水を補給したらすぐにスタート。
コースは川原の足場の悪い場所を歩きその後はだらだらと上りの山道を歩く。
CP2に2時間で着く。気温が低く幸いに曇りなので時間を稼げたのか? それとも計測がいいかげん?
疲労度は少ないので休憩を短めにしてゴールを目指して出発。
大きな渓谷沿いの道を黙々と歩いていると選手のゴールを知らせる太鼓の音が遠くからかすかに聞こえたような気がした。
しかし、自分の目算だとゴールまではまだかなりの距離があるはずだ。
空耳? しばらく歩くとまた太鼓の音が聞こえる。 今度は聞き違いではない。
対岸に目をやると遠くに赤いゴールゲートが見えた!大きく渓谷を廻り込むとゴールだ。道を下った所に川がある。2つの川を渡る。
フランス人夫婦の夫は川で服を洗濯。エンジョイ派はタイムにこだわらずマイペースだ。
ステージ2も無事完歩。
日が高いので服を洗う。 標高がかなり低くなってきたのかテントの中は蒸す。
乾燥餅にスープ、おいしい!
6月29日
ステージ3 29km
朝食乾燥餅、スープ。
川を4回渡るがその度にサンダルに履き替え、流れがかなりあるので慎重に川を渡る。
この辺りは草が多く牛が放牧されていて糞とハエがすごい。
3時間でCP1到着。
この先は石がゴロゴロある川原を歩くが足元が悪く何度も足首をひねる。
その後はひたすら山道を歩く。 コースマップには11Kmとあるが、予定より早く2時間で着く。
ここからキャンプまでの3時間の景色は足のまめの痛みや疲れを忘れさせるのに十分なすばらしい景観だ。
アフリカの広大な景色に良く似ている。何回も足を止め景色を眺め写真を写す。
今夜のキャンプはテントでなく村に泊まる。 異文化を体験できるよい機会だが、私はテントに寝る方が好きだ。 かなり大きな集合住宅だが、畳2畳分に3人で寝る見当か、疲れた身体にはキツイ。
村に川があり髪と服を洗う。 山の雪解け水が流れ込んでいるようで、ひんやりと冷たく、酷使で火照った身体には気持ちがいい。 がそれもほんの束の間。 日もかなり傾いているのにジリジリと暑い。
食事を済ませてのんびり写真を写していると、明日はAM3:30にバスでステージ4のスタート地点に移動をすると情報が入る。
睡眠確保の為、早めに横になるが、日没が10時なのでまだまだ明るいし、蒸すような暑さのせいで、寝られたものでない。とにかく目をつむる。
6月30日
ステージ4 36.5km
AM3起こされる。 完全に熟睡していて起こしてくれたようだ。
AM4時に“公民”と書かれたパトカーの先導でスタート地点に向かう。
スタート前のブリージングでどうやらコース変更があるようだが、英語の堪能な森さんがいない。
そこへいつも日本語で話しかけてくれるWANGがいた! 走りながら教えてくれた!感謝!
広大なブドウ畑を抜けると壮大な山脈が続いた。 この日は寝不足と後半の気温の上昇で前半のコースを良く覚えていない。
CP2からキャンプ地までの12Kmはストックで突くとすぐボロボロと崩れる小高い山が幾つも連なる山底の道幅1mほどの所を歩く。
陽炎がたつと赤土の山が炎のように見える事から火炎山と呼ばれるあたりか?
気温も上がり、山に囲まれていて風もこない。永遠に続くのではないかと思うほど景色も変わらないクネクネと蛇行した砂の道をピンクのフラッグを探して歩く。
正確な距離も分からないので水をかぶる事もできない。
目算だとあと数キロでキャンプ地に着くはずなので、最後の踏ん張りに摂るパワージェルを飲む。
辛いのは私だけでない!もう少しだ!頑張れ!と歩を進める。
そこへスタッフが来てこの先に日陰があるから休めと言う。 少し歩くと3人座るといっぱいの日陰に2人の男女が座っている。 水はあるかとスタッフに聞くとないと答える。
水の提供がなく風もないただ暑いだけの所にいるより先を目指した方がよいと判断して私は休まずゴールへ向かう。
少し行くとまた別のスタッフが現われて『後1kmだ 水は大丈夫か?』と聞かれた。
いつもほとんど見かけないスタッフが何故あんなにいたのか不思議に思っていたが、
ゴール1.5km手前で意識不明の状態で発見された選手がICUに運び込まれたと後で聞く。
ゴールは大きな博物館のようなところだ。 12km4時間10分かかり到着。
トイレがあるのでそこで洗濯をすませて、乾燥餅にスープの夕食.
明日はオーバーナイトステージなので早めに睡眠確保と思うが暑くて眠れず。
今日はいよいよハイライトのオーバーナイトステージ。
エジプトではオーバーナイト明けの砂漠でバックパックの食料を取る気力も失せハンガーノック状態のゴールになった。
今回はすぐ取れるように2日分の補給食をポシェットに入れる。
AM8:00スタート!
スタートして幾つもの川を渡る。 靴のまま川を渡ると今度はグニュとするぬかるみを歩く。 この繰り返しで足のまめが酷くなるだろうと想像するが構っていられない。
その後は町のメインストリートを歩く。つじつじに警官が立ちガードをしている。
市場や店が並ぶ賑やかな町中なのにフラッグの悪戯がないのは公安のお達しがあるのだろう。
みんな物珍しげに私を見ている。 そりゃ~そうだ、バックパックにサンダルぶら下げ、赤いスパッツにスットク姿。確かに人目をひくはず。
人々にニイハオ!と声を掛ける。子供達はハローとハイタッチをしてくる。
先に行く選手が教えたのだろう、群がる子供達とハイタッチをする。
だが昨日の疲れが残る身体と世界で2番目に低い海抜-100mの盆地に向かっているので、いやすでに盆地のど真ん中か?気温もどんどん高くなっている。
後で聞いたところでは53度だったそうだ。
そのうちにニイハオの挨拶も曖昧な笑顔に代わり、ハイタッチをしようとする子供達にはおばさん疲れているのよと親指を立てるのみ。
あぁ~~~早く町を抜けたい。ただそれだけを願い歩いている。
歩く事1時間30分やっと町を抜け、ブドウ畑が見えてくる。ちょうど雲が空を覆い風も出てきたので広大な原野をピッチを上げて歩く。
CP5の田んぼに着く頃には薄暗くなってきたので、ヘッドランプと赤色灯の用意をする。
さ~いよいよオーバーナイトだ! 私は蛍光ステックを見つめながら歩くのが好きだ。
目が慣れてくるとずっと先のライトも見えてくる。
心地よい風も吹き始め、疲れきった脳と身体が少しだけ癒される。
ライトだけに集中して歩き続けると心の中がからっぽになる。
CP7には仮眠テントとお湯の提供があるが、どう計算しても明け方になる。
私はCP6で仮眠しようと決めて暗闇の中、歩を早めた。
CP6に深夜12時に着く。 テントはすでに人でいっぱいなので野外で仮眠。
ここではスッタッフが寝過ごさないように起こしてくれる。
1時間後に起こしてくれるようにリクエストする。
起こされた時はまだ疲労感が抜けずもう1時間寝ようかと思ったものの、英語で何て言うんだっけと考えているうちにお陰で目が覚める。
補給食を食べ、水の提供を受けて出発するが、途中から歩みが鈍くなる。
身体が鉛のように重く、何度も途中で歩を止めざるをえない。
やはりもう少し仮眠を取った方が良かったと後悔するが、眠ければCP7で仮眠を取ればよいと頭を切り替え歩き続ける。
このCP7までが長かった! 人里に近づいているので蛍光スッティクが抜かれているのか、目印になるピンクフラッグも見つからず何度も薄暗い中、もとの道に戻る。
木の枝に結び付けてあるピンクフラッグを見つけた時は本当にうれしくほっとする。
村に入る頃に今までに聞いた事のない鳥たちのさえずりの大合唱と鶏のけたたましい鳴き声が迎えてくれる。
この辺りの人はベッドを外に出して寝るようだ。このけたたましい鳥の鳴き声の中でもみんな寝ている。彼らにとっては心地の良い子守唄のようなものなのだろう。
もうすぐ!もうすぐ!と自分を励ます。計算ではもうとうに着いていいはずのCP7になかなかたどり着かない。歩みが遅いのだろう。
きれいな朝日が昇る頃、遠くにうっすらとCP7が見える。
朝日とオーバーナイト明けの自分をカメラにおさめる。
CP7にやっとの思いでたどり着くが、もうすぐ暑くなるので仮眠は諦め、足の治療をしたら出発しようと決める。
ところが足を見てビックリ!紫色になり、オレンジ色の血膿が出ている!
いっぺんに眠気と疲労感がぶっ飛んだ!!!
ケンズの伊藤さんが用意してくれた抗生剤も飲んでいるし、破傷風の予防注射も打っているが、これはDRに見せた方がいいだろうと治療をお願いした。
治療が済み、補給を摂り さぁ~後半戦だ! 自分を鼓舞して出発。
だがまたまた苦手な人里を歩くコースだ。オート三輪、乗用車、ロバの引く荷車が通るたびにすごい土ほこりがたつ。
驚く事に子供がオート三輪を運転している。当然、バイクはノーヘル。
村人はみんな素朴で陽気な人たちだ。
ヨタヨタと歩く私を見て荷台やオートバイに乗りなと声を掛けてくる人たちもいる。
とても有り難い申し出なのだが、ヒッチハイカーじゃないのよと胸のレースナンバーを見せ、彼らの好意を断る。
気温はますます上がり足下がふらついている。
ふらついていると自覚できる間は大丈夫だ!?とスットック2本を頼りに、あの木陰まで、次の木陰までとトロトロ歩く。
木陰で歩を止めると、自分の息の荒さと鼓動の速さが耳に煩わしく、休むのをやめる。
歩きながら水をまめに飲み、補給食を食べる・・・あと何かたりないね~と自問する。
しばらくズルズルと歩きながら考えるが思い浮かばない。思考が完全に停止している。
あまりの暑さに身体に水をかける、と言ってもすでにお湯だが。
黒いウエアーに塩が浮いている。あ~塩タブ!と思い出し塩タブを多めに取る。
そんな状態で歩いていると農作業中の家族が私にメロンをくれた。
メロンでなく瓜か?さすが暑いところの果物、ジューシーで爽やかな甘みでうまい!
これが糖分と水分補給となり少し元気が出る。
ブドウ畑を抜けたところにあるCP8にようやくたどり着く。
短い休憩を取りAM1:00出発 あとはキツイ砂漠だが、もうすぐゴールだ!
そこへトルコの選手が戻ってきてフラッグが無いと言う。
ブドウ畑の子供たちのいたずらか?
スタッフがもう一度フラッグを立てるのでCP8で待つように言われる。
後から6人の選手がやってきる。私はここで54分足止めになるが後でリザルトを見るとこのロス分は引かれていない。
途中で1人が熱中症になりダウン。みんなで水をかけたりしているとマーシャルカーを見つけたのでストックを大きく振り知らせる。
選手をスッタフに託し、残りの選手で砂丘を歩く。やはり過酷なレースなのだと気を引き締める。
いくつもの砂丘を越えると赤いゴールゲートが見える。
笑顔でゴールが心情の私だが涙が出てくる。おばさんの涙はかわいくないと涙を押し留めようとするが堰を切ったように嗚咽になる。
制限タイム30分前のゴールだ。
テントで寛いでいると外が何やら騒がしい。テントから覗くとケーキだ~!
レース中にバースデーをむかえた人のお祝いだ。
♪ハピバースデー♪みんなで合唱のあとはケーキがふるまわれる。
大きな3段のケーキだが一番上はすぐなくなる。いつもはレディファーストの男達が一斉に手を伸ばす。
私も前に行きケーキゲット! うまい! 1個目は味わう間も無く平らげ、2個目をゲットする。
久しぶりの甘味に満足して寝ようと思うが、テントは蒸し暑く外で寝る事にする。
どうせなら高い所と小高い砂丘を陣取る。日本人選手は皆外で寝ている。
遠くの山に沈む夕陽がきれいだ。その夕陽に染まる雲がゆっくりと流れて行く。
どこまでも続く砂丘と満天の星空の下で寝ながら、オーバーナイトを無事に乗り切れた喜びにひたる。
朝のブリージングでコース変更があり、オール砂漠の22kmを短くするとの事。
短いと言ってもずっと上りだなと砂丘のテッペンのフラッグをみる。
最終的には砂漠コースはなしで川原や墓地などをまわるコースに変更。
日本人選手大井さんと一緒にゴ~~~ル!!!
主催者のメアリーとハグ! みんなと握手! みんな笑顔だ!
さ~あとはビールだ~! 鳥の唐あげ、炒め物、パン、う~ん食べる物みんなおいしい。
しばらくしてラストランナーの足を痛めたイギリス人選手がゴールする。
彼は他のステージを完走できなかったのだろう。メダルは無い。泣いている。
彼の万感の思いが私にも伝わりもらい泣きをする。
バスで4時間ほどかけホテルへ移動。 8日ぶりのシャワーで汗を流す。
PM8:00よりパーティ。 パーティは黙祷で始まる。
ステージ4で熱中症になったアメリカ人選手が手当ての甲斐もなく今日亡くなった。
31才の彼とはレース中にいつも私と前後していて、会うと声を掛け合い写真も一緒に撮った。 こころからご冥福を祈る。
60歳以上の参加者は私だけなので競合なしの受賞。
名前を呼ばれ表彰台まで歩くが、通るテーブルの選手やスッタッフがスタンディングオベーションで拍手をしてくれて感激。
ガラスのたてを頂き“ありがとうございました 私はこのレースを楽しみました”とスピーチ。
スタッフ、日本選手たち、同じテントのみなさん、そして声をかけてくれた全ての選手たち ありがとう!
そしてメールをくれたケンズのみなさん ありがとう!















