レースレポート

2010年7月29日 (木)

Gobi March ~Racing The Planet~ 完走記

Goru昨年10月のサハラ砂漠に続き、今回はゴビ砂漠(中国)のレースに参戦してきた村上久美さんから、レースレポートが届きました!
レース中の標高差に伴う気温の変化や、それに伴う装備の重量増等もあり、サハラよりも過酷とされるゴビ砂漠。
レースを想定したトレーニングはもちろん、これまでの経験から数ヶ月前から装備や補給食の準備を念入りに行い、万全の体制でレースに挑んだ村上さんは、見事に完走を果たしました。
本当におめでとうございます!!

それでは、村上さんの完走記をご一読ください。


Racing The Planet
~Gobi March 2010~

3度目の砂漠走に挑戦です。
中国新疆ウイグル自治区ウルムチで開催されたゴビマーチに行って来ました。
1週間分の装備を背負い250kmの距離を踏破するレースです。

コースディレクター曰く『変化のある芸術的なコース』
標高1500mがスタート地点、そこから2200mまで登り、世界で2番目に低い土地、海抜-100mがゴール地点。
標高差2300m、温度差40度、確かに変化のあるコース。
せめてその過酷さを忘れさせるような素晴らしい景色に出会える事を願った。


6月24日

成田発北京経由でウルムチに入る。
中国国際航空の機内持ち込みは5㎏までだが、ロスバゲしたらウルムチでは絶対に手に入らないだろうレース装備品はどうしても機内持込にしたい。
交渉する事30分機内持ち込み許可が出る。

定刻に離陸。
乗り継ぎが2時間の遅れだったが無事ウルムチ空港着。
ウルムチはウイグル族、漢族、ほか小数民族が混在する街だけに看板などは、中国語と一緒にアラビア語も書かれている。ヨーロッパ系やイスラム系の顔立ちの人も多い。
ホテルまでの道すがら車から見える景色は、中東の風情を感じる。 排ガスがすごい。 PM8:00選手集合ホテルに到着。 ホテルから天山山脈か?雪をかぶる美しい山脈が見える。


6月25日

今日は選手集合日。 事務局の用意した部屋へ移ることになる。
空いた時間に町を散策する。市場の果物や釜の直火で焼く丸型パンはおいしそうだが、大会前はお腹をこわさないよう、レースが終わったら羊の肉入りのサモサを食べようと我慢。
コンビニのような店で中国のポテトチップスと珈琲を買う。
珈琲は中国語で“男珈琲”“女珈琲”とある。男は深煎り、女は浅煎りだろう?と女珈琲にする。

部屋で寛いでいると同室となる女性が登場。これからは英語だ!脳トレ開始!
その女性『私はジャクリーン なんとか・かんとか ジャッキーと呼んで』と自己紹介。
私はまず頭の中で日本語にして返事の英語を考える。考えたところで大した会話にならないが、衛星中継の会話のように間ができる。 『ジャンキーね』と私。
即座に『NO!』ジャンキーは薬物中毒者のことですね・・・ジャッキー ごめんなさい。


6月26日

AM11荷物検査。 PM4:00バスでスター地点のキャンプへ向かう。
CO2対策か風力発電や木々がたくさん植林されている。
それにしても経済発展著しい中国。やはり大陸的でワイルド!?
明らかに積載オーバーのトラックやトラックの上に同型のトラックを乗せて走るなんて曲芸まがいだ。 日本では考えられない。ここまでくると拍手ものだ。

途中で大きな体育館の庭でダンスや歌の歓迎セレモニーがあった。
やはり歌も踊りも中東の雰囲気が強い。

しばらく走ると田舎道に入るがこれが大変。
そもそも観光客が行かない所でレースが行われるので、そこに続く山道は大型観光バスなど通る事は想定外のようで、所どころ道がすごく狭い。
車体を軽くする為か横転した時に怪我人を出さない為か定かでないが何度かバスから降ろされる。 タイヤ1本分位の余裕しかない道を通るドライバーのテクニックに皆拍手。

PM8:30キャンプに着く。 標高1500m 私のテントは“テント11”
日の入りは10頃なのでまだ明るい。 遠くにそびえる山々がうつくしい。
夕食はレトルトカレー、ソーセージ、味付け鶉の卵,コーンスープと少し豪華。
食事を済ませたら明日のレースに備え早々に就寝。
山脈に沈んでゆく透きとうるような夕陽が印象的だ。


6月27日
ステージ1 32km

朝食は乾燥餅にスープ。
いよいよスタート! 辛くてキツイ1週間のはじまり!
CP1~2まで景色のあまり良くない山岳地帯を歩く。
CP2からいよいよ登山が始まる。 いままで変化のない道を歩いてきたので、山を仰ぎ見て一気にアドレナリンが噴出。 気持ちよく登る。
登りきると今度は15cmほどの岩の瓦礫を下る。 尻をついて下りる人もいる。
私は楽しくて笑顔で靴の踵を瓦礫に食い込ませて下りて行く。 上機嫌もここまで。
後は山の中腹を15km歩く。 ず~と変わらない山の景色にうんざりした頃に山の下にキャンプが見える! それからは超速歩。 ゴールゲート近くからは走る。
ステージ1無事完歩。

その後、テントにてインタビューを受ける。今回のレース参加者で最年長であることが理由のようだ。確かに還暦越えは私しかいない。
スタッフに日本語の話せる人がいて、砂漠レースを始めたエピソードやトライアスリートである事を話すが、身体と同じように疲れた頭で上手に話せたかは甚だ疑問。 

夕飯は乾燥餅にスープ。 食欲のある事に感謝。
標高が2200mなので気温が低く風も強く寒い。 持っている物をみんな着込んで就寝。


Photo6月28日
ステージ2 29km

朝食乾燥餅、スープ。
AM9スタート。 いきなり登りのコースで息が上がる。
CP1まで15Kmなのでこの登りだと5時間はかかるかと計算していたが3時間30分でゴール。
補給食を食べて水を補給したらすぐにスタート。
コースは川原の足場の悪い場所を歩きその後はだらだらと上りの山道を歩く。
CP2に2時間で着く。気温が低く幸いに曇りなので時間を稼げたのか? それとも計測がいいかげん?
疲労度は少ないので休憩を短めにしてゴールを目指して出発。
大きな渓谷沿いの道を黙々と歩いていると選手のゴールを知らせる太鼓の音が遠くからかすかに聞こえたような気がした。
しかし、自分の目算だとゴールまではまだかなりの距離があるはずだ。
空耳? しばらく歩くとまた太鼓の音が聞こえる。 今度は聞き違いではない。
対岸に目をやると遠くに赤いゴールゲートが見えた!大きく渓谷を廻り込むとゴールだ。道を下った所に川がある。2つの川を渡る。
フランス人夫婦の夫は川で服を洗濯。エンジョイ派はタイムにこだわらずマイペースだ。
ステージ2も無事完歩。

日が高いので服を洗う。 標高がかなり低くなってきたのかテントの中は蒸す。
乾燥餅にスープ、おいしい!


6月29日
ステージ3 29km

朝食乾燥餅、スープ。
川を4回渡るがその度にサンダルに履き替え、流れがかなりあるので慎重に川を渡る。
この辺りは草が多く牛が放牧されていて糞とハエがすごい。
3時間でCP1到着。
この先は石がゴロゴロある川原を歩くが足元が悪く何度も足首をひねる。
その後はひたすら山道を歩く。 コースマップには11Kmとあるが、予定より早く2時間で着く。
ここからキャンプまでの3時間の景色は足のまめの痛みや疲れを忘れさせるのに十分なすばらしい景観だ。
アフリカの広大な景色に良く似ている。何回も足を止め景色を眺め写真を写す。

今夜のキャンプはテントでなく村に泊まる。 異文化を体験できるよい機会だが、私はテントに寝る方が好きだ。 かなり大きな集合住宅だが、畳2畳分に3人で寝る見当か、疲れた身体にはキツイ。
村に川があり髪と服を洗う。 山の雪解け水が流れ込んでいるようで、ひんやりと冷たく、酷使で火照った身体には気持ちがいい。 がそれもほんの束の間。 日もかなり傾いているのにジリジリと暑い。

食事を済ませてのんびり写真を写していると、明日はAM3:30にバスでステージ4のスタート地点に移動をすると情報が入る。
睡眠確保の為、早めに横になるが、日没が10時なのでまだまだ明るいし、蒸すような暑さのせいで、寝られたものでない。とにかく目をつむる。


6月30日
ステージ4 36.5km

AM3起こされる。 完全に熟睡していて起こしてくれたようだ。
AM4時に“公民”と書かれたパトカーの先導でスタート地点に向かう。
スタート前のブリージングでどうやらコース変更があるようだが、英語の堪能な森さんがいない。
そこへいつも日本語で話しかけてくれるWANGがいた! 走りながら教えてくれた!感謝!

広大なブドウ畑を抜けると壮大な山脈が続いた。 この日は寝不足と後半の気温の上昇で前半のコースを良く覚えていない。
CP2からキャンプ地までの12Kmはストックで突くとすぐボロボロと崩れる小高い山が幾つも連なる山底の道幅1mほどの所を歩く。
陽炎がたつと赤土の山が炎のように見える事から火炎山と呼ばれるあたりか?
気温も上がり、山に囲まれていて風もこない。永遠に続くのではないかと思うほど景色も変わらないクネクネと蛇行した砂の道をピンクのフラッグを探して歩く。
正確な距離も分からないので水をかぶる事もできない。

目算だとあと数キロでキャンプ地に着くはずなので、最後の踏ん張りに摂るパワージェルを飲む。
辛いのは私だけでない!もう少しだ!頑張れ!と歩を進める。
そこへスタッフが来てこの先に日陰があるから休めと言う。 少し歩くと3人座るといっぱいの日陰に2人の男女が座っている。 水はあるかとスタッフに聞くとないと答える。
水の提供がなく風もないただ暑いだけの所にいるより先を目指した方がよいと判断して私は休まずゴールへ向かう。

少し行くとまた別のスタッフが現われて『後1kmだ 水は大丈夫か?』と聞かれた。
いつもほとんど見かけないスタッフが何故あんなにいたのか不思議に思っていたが、
ゴール1.5km手前で意識不明の状態で発見された選手がICUに運び込まれたと後で聞く。

ゴールは大きな博物館のようなところだ。 12km4時間10分かかり到着。
トイレがあるのでそこで洗濯をすませて、乾燥餅にスープの夕食.
明日はオーバーナイトステージなので早めに睡眠確保と思うが暑くて眠れず。


Photo_27月1日2日
オーバーナイトステージ 99km

今日はいよいよハイライトのオーバーナイトステージ。 
エジプトではオーバーナイト明けの砂漠でバックパックの食料を取る気力も失せハンガーノック状態のゴールになった。
今回はすぐ取れるように2日分の補給食をポシェットに入れる。

AM8:00スタート!
スタートして幾つもの川を渡る。 靴のまま川を渡ると今度はグニュとするぬかるみを歩く。 この繰り返しで足のまめが酷くなるだろうと想像するが構っていられない。
その後は町のメインストリートを歩く。つじつじに警官が立ちガードをしている。
市場や店が並ぶ賑やかな町中なのにフラッグの悪戯がないのは公安のお達しがあるのだろう。
みんな物珍しげに私を見ている。 そりゃ~そうだ、バックパックにサンダルぶら下げ、赤いスパッツにスットク姿。確かに人目をひくはず。
人々にニイハオ!と声を掛ける。子供達はハローとハイタッチをしてくる。
先に行く選手が教えたのだろう、群がる子供達とハイタッチをする。

だが昨日の疲れが残る身体と世界で2番目に低い海抜-100mの盆地に向かっているので、いやすでに盆地のど真ん中か?気温もどんどん高くなっている。
後で聞いたところでは53度だったそうだ。
そのうちにニイハオの挨拶も曖昧な笑顔に代わり、ハイタッチをしようとする子供達にはおばさん疲れているのよと親指を立てるのみ。

あぁ~~~早く町を抜けたい。ただそれだけを願い歩いている。
歩く事1時間30分やっと町を抜け、ブドウ畑が見えてくる。ちょうど雲が空を覆い風も出てきたので広大な原野をピッチを上げて歩く。

Photo_3CP5の田んぼに着く頃には薄暗くなってきたので、ヘッドランプと赤色灯の用意をする。
さ~いよいよオーバーナイトだ! 私は蛍光ステックを見つめながら歩くのが好きだ。
目が慣れてくるとずっと先のライトも見えてくる。
心地よい風も吹き始め、疲れきった脳と身体が少しだけ癒される。
ライトだけに集中して歩き続けると心の中がからっぽになる。

CP7には仮眠テントとお湯の提供があるが、どう計算しても明け方になる。
私はCP6で仮眠しようと決めて暗闇の中、歩を早めた。
CP6に深夜12時に着く。 テントはすでに人でいっぱいなので野外で仮眠。
ここではスッタッフが寝過ごさないように起こしてくれる。
1時間後に起こしてくれるようにリクエストする。
起こされた時はまだ疲労感が抜けずもう1時間寝ようかと思ったものの、英語で何て言うんだっけと考えているうちにお陰で目が覚める。
補給食を食べ、水の提供を受けて出発するが、途中から歩みが鈍くなる。
身体が鉛のように重く、何度も途中で歩を止めざるをえない。
やはりもう少し仮眠を取った方が良かったと後悔するが、眠ければCP7で仮眠を取ればよいと頭を切り替え歩き続ける。

このCP7までが長かった! 人里に近づいているので蛍光スッティクが抜かれているのか、目印になるピンクフラッグも見つからず何度も薄暗い中、もとの道に戻る。
木の枝に結び付けてあるピンクフラッグを見つけた時は本当にうれしくほっとする。

村に入る頃に今までに聞いた事のない鳥たちのさえずりの大合唱と鶏のけたたましい鳴き声が迎えてくれる。
この辺りの人はベッドを外に出して寝るようだ。このけたたましい鳥の鳴き声の中でもみんな寝ている。彼らにとっては心地の良い子守唄のようなものなのだろう。

もうすぐ!もうすぐ!と自分を励ます。計算ではもうとうに着いていいはずのCP7になかなかたどり着かない。歩みが遅いのだろう。
きれいな朝日が昇る頃、遠くにうっすらとCP7が見える。
朝日とオーバーナイト明けの自分をカメラにおさめる。

CP7にやっとの思いでたどり着くが、もうすぐ暑くなるので仮眠は諦め、足の治療をしたら出発しようと決める。
ところが足を見てビックリ!紫色になり、オレンジ色の血膿が出ている!
いっぺんに眠気と疲労感がぶっ飛んだ!!!
ケンズの伊藤さんが用意してくれた抗生剤も飲んでいるし、破傷風の予防注射も打っているが、これはDRに見せた方がいいだろうと治療をお願いした。

治療が済み、補給を摂り さぁ~後半戦だ! 自分を鼓舞して出発。
だがまたまた苦手な人里を歩くコースだ。オート三輪、乗用車、ロバの引く荷車が通るたびにすごい土ほこりがたつ。
驚く事に子供がオート三輪を運転している。当然、バイクはノーヘル。

村人はみんな素朴で陽気な人たちだ。
ヨタヨタと歩く私を見て荷台やオートバイに乗りなと声を掛けてくる人たちもいる。
とても有り難い申し出なのだが、ヒッチハイカーじゃないのよと胸のレースナンバーを見せ、彼らの好意を断る。

気温はますます上がり足下がふらついている。
ふらついていると自覚できる間は大丈夫だ!?とスットック2本を頼りに、あの木陰まで、次の木陰までとトロトロ歩く。
木陰で歩を止めると、自分の息の荒さと鼓動の速さが耳に煩わしく、休むのをやめる。

歩きながら水をまめに飲み、補給食を食べる・・・あと何かたりないね~と自問する。
しばらくズルズルと歩きながら考えるが思い浮かばない。思考が完全に停止している。
あまりの暑さに身体に水をかける、と言ってもすでにお湯だが。
黒いウエアーに塩が浮いている。あ~塩タブ!と思い出し塩タブを多めに取る。

そんな状態で歩いていると農作業中の家族が私にメロンをくれた。
メロンでなく瓜か?さすが暑いところの果物、ジューシーで爽やかな甘みでうまい!
これが糖分と水分補給となり少し元気が出る。

ブドウ畑を抜けたところにあるCP8にようやくたどり着く。
短い休憩を取りAM1:00出発 あとはキツイ砂漠だが、もうすぐゴールだ!

そこへトルコの選手が戻ってきてフラッグが無いと言う。
ブドウ畑の子供たちのいたずらか?
スタッフがもう一度フラッグを立てるのでCP8で待つように言われる。
後から6人の選手がやってきる。私はここで54分足止めになるが後でリザルトを見るとこのロス分は引かれていない。

途中で1人が熱中症になりダウン。みんなで水をかけたりしているとマーシャルカーを見つけたのでストックを大きく振り知らせる。
選手をスッタフに託し、残りの選手で砂丘を歩く。やはり過酷なレースなのだと気を引き締める。
いくつもの砂丘を越えると赤いゴールゲートが見える。
笑顔でゴールが心情の私だが涙が出てくる。おばさんの涙はかわいくないと涙を押し留めようとするが堰を切ったように嗚咽になる。
制限タイム30分前のゴールだ。

テントで寛いでいると外が何やら騒がしい。テントから覗くとケーキだ~!
レース中にバースデーをむかえた人のお祝いだ。
♪ハピバースデー♪みんなで合唱のあとはケーキがふるまわれる。
大きな3段のケーキだが一番上はすぐなくなる。いつもはレディファーストの男達が一斉に手を伸ばす。
私も前に行きケーキゲット! うまい! 1個目は味わう間も無く平らげ、2個目をゲットする。

久しぶりの甘味に満足して寝ようと思うが、テントは蒸し暑く外で寝る事にする。
どうせなら高い所と小高い砂丘を陣取る。日本人選手は皆外で寝ている。 
遠くの山に沈む夕陽がきれいだ。その夕陽に染まる雲がゆっくりと流れて行く。

どこまでも続く砂丘と満天の星空の下で寝ながら、オーバーナイトを無事に乗り切れた喜びにひたる。


Photo_47月3日
ステージ6

朝のブリージングでコース変更があり、オール砂漠の22kmを短くするとの事。
短いと言ってもずっと上りだなと砂丘のテッペンのフラッグをみる。
最終的には砂漠コースはなしで川原や墓地などをまわるコースに変更。

日本人選手大井さんと一緒にゴ~~~ル!!!
主催者のメアリーとハグ! みんなと握手! みんな笑顔だ!
さ~あとはビールだ~! 鳥の唐あげ、炒め物、パン、う~ん食べる物みんなおいしい。

しばらくしてラストランナーの足を痛めたイギリス人選手がゴールする。
彼は他のステージを完走できなかったのだろう。メダルは無い。泣いている。
彼の万感の思いが私にも伝わりもらい泣きをする。

バスで4時間ほどかけホテルへ移動。 8日ぶりのシャワーで汗を流す。
PM8:00よりパーティ。 パーティは黙祷で始まる。 
ステージ4で熱中症になったアメリカ人選手が手当ての甲斐もなく今日亡くなった。
31才の彼とはレース中にいつも私と前後していて、会うと声を掛け合い写真も一緒に撮った。 こころからご冥福を祈る。

60歳以上の参加者は私だけなので競合なしの受賞。
名前を呼ばれ表彰台まで歩くが、通るテーブルの選手やスッタッフがスタンディングオベーションで拍手をしてくれて感激。 
ガラスのたてを頂き“ありがとうございました 私はこのレースを楽しみました”とスピーチ。

スタッフ、日本選手たち、同じテントのみなさん、そして声をかけてくれた全ての選手たち ありがとう!
そしてメールをくれたケンズのみなさん ありがとう!

09:11 午前 レースレポート | | コメント (0)

2009年11月12日 (木)

Racing The Planet 完走記

Sahara_japanese_team2
村上久美さんから、Racing The Planetのレースレポートが届きました。壮絶なレースのはずなんですが、読んでいてると思わず笑ってしまうような場面もチラホラ。この気持ちのゆとりが完走のポイントでしょうか。。。必読です!!
写真の右端が村上さんです。





Racing The Planet
~SAHARA  RACE  EGYPT~

性懲りもなく再び挑戦。
今度の舞台はサハラ砂漠の最東端、エジプトは白砂漠、黒砂漠です。

10月20日
風邪が完治せず、微熱のまま成田発。
ロンドンのトランジットを経由し約20時間で深夜エジプトカイロに到着。
さすがは灼熱の国、エジプト。どうやらクーラーが最上級のお持て成しとされているようで、タクシー、ホテルでもキンキンに冷やされた空気で歓待された。
カイロ市内のシェラードホテルでAM1時過ぎにチェックイン。
室内のクーラーをきっても廊下から冷気が流れ込む。寒い。風邪が悪化しそう。歓迎されているといよりもちょっとした罰ゲームを受けているような気分になる。
おまけに深夜まで活気のある街の排ガス臭が外から室内に吹きこんでいた。
案眠確保の為にドアの隙間にバスタオルを挟み冷気をシャットアウト、窓は持参のガムテープで目張り・・・AM2時就寝。


10月21日22日
23日の選手集合までの空いた2日間、カイロ市内を観光。
信じられないことにカイロ市内には信号が無い!
しかし、片側2車線はあろうかと思う道路をエジプシャンは1台1台を器用に交わし、車など走っていないかのように平然と横切る。
風部薬を飲んで時差ボケの極東島国ニッポンのおばさん、ボーと立ち尽すのみ。
そこへお巡りさん登場。 首にかけている警笛を『ピー』と鳴らし車を止め、一諸に道を渡ってくれた。
エジプト最初の“Thank you”だ。

蔵本さんに気合を入れてもらったカーリーヘアーにコロンビアのアーミーパンツ。
出発前日の成田日航ホテルではフロアースタッフに“Hello”と声をかけられる。
どうも韓国人か中国人に見られたらしい?
エジプトのカフェでは“スパニッシュ?”とボーイに尋ねられる。
しかし国籍不明で無愛想なおばさん(実は風邪薬と疲れでボ~としているだけ)と見られたお陰でエジプト滞在中、イスラームの教えに起源をもつ“バクシーン”を要求されることはなかったし、土産屋のしつこい押し売りの被害にもあわずに済んだ。


10月23日
郊外五つ星ホテルが選手集合場所。
ここで日本の選手全員が揃う。
同室の日本女性はシンガポールからチームエントリーの日本人のトライスリート。
強豪で女性1位だったがチームエントリーなのでチーム2位で入賞!


10月24日
選手登録。
書類手続、健康問診、装備チェック。
午後にバスで7時間かけてキャンプ地へ移動。
スケージュルがとてもタイトな大会なので、厄介事に見舞われたらと面倒だと思っていたら、悲しいかな、人間悪い勘に限って良く当たる。
2時間後、私の乗るバスが黒煙を吐きエンストしてしまった!!!
だけど、誰も慌てず文句も言わず、散歩に行ったり(青空トイレ)、食事をしたりそのうち青空に両手を広げ何やら歌うおじさんがいてみんなが大笑い!
どうして彼らはこうまで陽気なんだろう?
色んなことを含めて砂漠を楽しんでいると感じる。牧歌的な人々だ。
夕食は途中のドライブインでお湯を分けてもらい五目ご飯半分。
このドライブインで1年掛けて世界旅行中の日本人ご夫婦が声をかけてくる。
一行が日の丸パッチを付けていたのを不思議に思ったそうで、ご夫婦にレースの説明をする。

代車が来てキャンプに着いたのは深夜。
今日からテント暮らし。
テント名『RAMESSES』アメリカ、オーストリア、香港、日本4ヶ国男女7名。
これから1週間同じテントで生活する。

AM1時就寝。


Egypt_110月25日
第1ステージ ~34・3km~

キャンプの朝は早い。5時間ほどの睡眠で頭がうすら痛い。
でもそれを忘れるほどの素晴らしい朝日が昇る。
今日のレースの無事完走を祈る。
このレースはお湯の提供を受ける事ができるので、食品のバリエーションは広がるものの、あまり食欲も無く無理に食べると胃に負担が大きいと判断して味噌汁とアルファ米半分強でやめる。

AM8時いよいよスタ~~~ト!!!

湿度の高い灼熱の長い1週間の始まりだ。

一番暑くなるCP2辺りで後ろからイギリスよりチームエントリーの日本人たけさんが“村上さん足もとがふらついている。熱射病になっている。小まめに水分補給した方がいい”とアドバイスを頂いた。
自分では普通に歩いているつもりだったが確かに1度もトイレタイムを取っていない。
食欲が無くほとんど行動食を取れないので、明日の分のスポーツドリンクも飲むようにした。
CP3もどうにか通過して、あと少しでステージ終了という所で白い大きな岩山が連なるところに出る。
ここで前の選手の足跡が消え、フラッグも見当たらない! 迷子だ!

薄暗くなりコンパス頼りに行くと目の前にド~ンと崖なんてと思うと急がば廻れで、後続の選手を待つことにした。
ここでまたまた救世主のようにたけさんチーム現れる!!!
タケさんリードのもとキャンプ地の明かりが見える所までたどり着いたところでギブアップ!
一諸に行きましょう!と優しいタケさんの言葉に感謝しつつもここで先に行ってもらう。
案の定ゴール手前100m辺りで両足攣る。
塩タブ不足を反省。
白灰岩の奇岩がたくさんある壮大な一帯を抜けるコースで、観光には良いだろうけど、歩くにはキツかった。
先着の日本人選手のお出迎えで無事第1ステージクリア。
夕飯はスープにジェルのみ。

PM8時就寝。


Egypt_210月26日
第2ステージ ~44km~

目の前に広がる砂丘。これこそが砂漠と言わんばかりだ。砂丘の稜線を進みランナーの行列ができあがる。
もちろん後方からスタート。
青空のもと綺麗な砂漠を1列に連なる選手たち これは壮観!

“Soft Sand”というコースはスポンジの上を歩くような妙な弾力性がある。初めての感触だ。
足裏へのダメージは少ないけれど、深くまで足の沈み込む柔らかい砂はジワジワと体力を奪っていった。
なるべく前の選手の歩いていない所を選んで歩く。
かと思うと少し固めの場所がありストックを着くと“ポン ポン”と太鼓のように反響する。
しばらくストックでリズムに合わせて歩くがそれもCP2まで。
全レース中でこのあたりが一番キツく辛かった。
気温は49℃もあったそうで無理もない。良く乗り切れたもんだ。
50分ほど横になり休憩。
行動食を食べつつ意識して塩タブをとり水も多めにもらう。
前の選手が残した”デットウオター“で帽子や首筋に水をかける。
後半は砂丘なので暗くなっても前の選手の足跡を辿れば迷うことも無いだろうと考え、マイペースで無理せずゆっくり歩こうと決めた。
最後は暗くなり小さな石が散らばる“礫砂漠”の中に細長く駱駝の背中のように連なる砂丘を歩く。
すぐ下にフラットな礫砂漠があるわけで、そこを迂回したら半分の時間で済むなと不遜な考えが頭に浮かぶ。
鼻をかみつつ息も切れ切れに一番高い山を登りきるとそこに2台の車のライトが!!!
見透かされたようで笑ってしまう。 “ずるしてませんよ~”思わず口に出る。
遠くにキャンプの明かりが見える。
もうすぐだ!   
歩の進みが速くなり、身体から力が出てくる。
選手が帰ってくると現地のスタッフが太鼓で迎えてくれる。
食事中のおじさんか? 片手にスプーンを持ち私に“Run! Run!”と一諸に走りエールを送ってくれる。
無理です。おじさん!・・・鼻水垂らしながら私は言う。暗くて幸い。

第2ステージ無事クリア。

相変わらず食欲無く、夕食はカロリーメイトと無印良品のオニオンスープ・・・これ本当に旨い!
足の治療を受けてすぐ就寝。


Egypt_310月27日
第3ステージ ~42・5km~
タンや鼻水が止まる。しかし、一難去って、また一難。今度はおなかの調子がよくない。
ボトルに薄~いわかめ状の緑のカビがある!モロッコでは黒いカビがビッシリはえた。
スポーツドリンクって栄養があるんだね~と思いつつ学習能力の無さを反省。
1・5Lボトルをそのまま前に装着できるアイテムがあるが、次回はそれを使かおうと考えた。
食器も外国の選手はボトルを半分に切りそれを食器代わりにしていたが、たいした発想力である。
今回は折りたたみ式の食器を使ったが隅まできれいにできないのでボトル使用もいいかもしれない。

コースは礫砂漠、岩砂漠、砂丘とこの3日ほとんど景色の変化が無い。
身体よりもメンタルな面で本当に我慢の徒歩が続く。
CP間の距離も大体同じなのでペースがつかめ何とかイーブンでCP通過。
楽しみにしていたCP3のオアシスにやっとたどり着く。
疲労度ピーク。 すぐ横になり休憩。
この日は蓄積疲労度大で写真も日記も少ない。 もちろん記憶もおぼろげ。

このステージも無事クリア。


Egypt_510月27日
第4ステージ ~40・5km~

食欲はあまりないが、昨日から補給食は予定の物を完食出来ているので大丈夫だろうと、朝食は無理に取らず軽めに済ます。
行動食はトバ、マンゴーの乾燥させた物、ナッツ類、パワーバーやカロリーメイト。
今日は明日にオーバーナイトステージが控えているのでゆっくり行こうと決め、のんびり写真など撮りながら歩いていた。

ふっと振り返ると何と!!!駱駝が2頭にフラッグ回収のスタッフ2名が着いて来る。
つまり最後尾だ。
ここからピッチを上げるが時すでに遅し、駱駝もスタッフも私と併走ならぬ併歩だ。
駱駝なんぞ私を追い越す勢い!おいおい!早いぞ!
何とCP1まで予定より20分も早く着く。やれば出来るじゃん!と思いつつここは頑張るところでないと自分を戒める。
駱駝を振り切る為にほとんど休憩を取らずに出発。
その後は自分のペースで歩を進める。
CP3からは暗くなり山なのでこれまた迷子回避でたけさんチームに着いて行く。

第4ステージ無事クリア。たけさんには本当に感謝!
夕食はスープ、味噌汁にASAHIの補給食。いまだにアルファ米食べる気にならず、ベトウィン族スタッフに渡す。


Egypt_610月28日29日
第5ステージ ~87・6km~

オーバーナイトステージ。
4時起床。オーバーナイトステージに備え、補給食の準備などをする。
相変わらず食欲はなく胃が少しむかつく。きのうCPで吐いている人や胃腸にきてリタイヤしている人が多い。
朝は軽めにカレーヌードルのみ。 摂取カロリーが普段より少ないけど、長丁場持つか?

6時出発。
いつもより2時間早い出発なので涼しくCP1まで予定より30分早く着く。
CP2まで予定通りに鼻で息が出来る程度のペースで歩く。
ところが途中から若い女性が“大丈夫?”と話しかけてきて、お菓子をくれた。
どうも次のステージまで一諸に行くつもりらしい。
かなりのハイペース! 先に行って下さいって英語で何て言うんだっけ?
ahead何とか?after何とか?もう血流は全て足の筋肉に行き?頭がまわらん!
まわったところで”I can speak a little English”だ。それも“more more a little”だ。
英会話教室のエワルド先生!教わったラリー用英会話忘れました~!
どうせあと数キロだ!ペースを合わせて歩こう! 頭を使うより楽だ・・・きっと。
これまた予定より30分も早く着く。これはまずいとこの女性と出発ずらす。
Egypt_4
CP4手前で前を行く2人組が丘の上で突然立ち止まる。
素晴らしい景色で歩を止めているのか、凄いコースで思案しているのか?
行ってみるしかないなと期待せずに丘を登りきる。
絶景が広がる!遠くに緑がたくさん広がり村だ!煙が2ヶ所で立ち登る。
瓦礫の岩山なので慎重に下りる。
この村民から紅茶が振舞われるが ハエが~!信じられない数!でも飲まなきゃ失礼だといただく。
疲れた身体に暖かく甘い紅茶はおいしかった。

暗い中しばらく人里が続き、いきなり木陰から声をかけてくる男がいた。
あちこちに小屋の明かりが漏れ何やら工事をしている。
恐くなりCP5の村を出るまで後続の選手と合流するがこれまたハイペース。
おまけに村の子供に赤色ライトをもぎ取られ“こら~”と怒鳴るものの逃げ足の速いこと!
プレゼントだいとばかりに先を急ぐ。
後で聞くと分かっているだけでも7個のライトが盗まれたそうだ。
暗闇に赤くピカピカ光るライトは子供にとって魅力的なんどろうなぁと思うが人の物を盗むのは犯罪だろう。

CP5から後は仮眠用テントのあるCP6まで1人で歩くがこれまた恐かった。
黄色いライトが2個、コースとかなり離れている所で光る。
突然1個のライトがこちらにスーと向って来る!!!
思わずCP5で事務局の近藤さんから借りた赤色ライトとヘッドランプを消す。
と同時に向うのライトも突然消える? 消した?!

私『ひぇ~~~~!!!』しばらく無灯で「やっぱ非常時の為に余力は残すべきだね」と追われるように黙々と歩き走り。
気がつくとライトは見えず。
非常時でも何でもなく自転車に乗った村人が“おらの村に誰だ?”ということ事だろうが砂漠で一人は恐い!

CP6にPM11時過ぎ着。
ここでお湯を貰えるが、あえてアルファ米が水で戻る1時間だけ寝るつもりでシュラフに潜り込む。
寝過ごすのが心配だったが、AM1時にピッピッとあちこちでアラームが鳴る。
起きてみたら意外と疲労度軽く、これなら行けると思い、アルファ米半分ほど食べてAM1:30に出発。
冷気が心地よく,気持ちよく歩を進めるがそれも日の出を拝むまで。
山から昇る荘厳な日の出の写真を撮り、ついでにオーバーナイト明けの自分を撮る。
笑えた! スゴイ顔だ! 泉ピンコにそっくり! まっ、これも勲章だ。
どんどん気温が上がりやっとの思いでへろへろでCP8へ辿り着く。

フィニシュまで後8km!2時間でゴールだと思ったのが大きな間違い。
いくつもの砂丘を越え岩山を越えてもう2時間半。
行けども行けども綺麗な砂丘が続く!期待してはいけないと思いつつこの砂丘を越えたらきっとゴールだ。
と期待に胸を膨らませていたら、ようやく遠くにゴールゲートが見えた。
やった!!!ゴールだ!!!やっとの思いで岩山を回り込んだら何と!これまた一段と高い砂丘のテッペンにゲートが!!!
思わず笑う。ここまでやるか!コーディネーター!
でも私はGood skier!?靴をハの字にして最後の力を振り搾り、斜度のある砂丘を登りきる。
先着の選手、スタッフに迎えられ無事オーバーナイトクリア。

やった~~~!!!

苦労して登り着いただけある・・・コースコディネイターからの最高のプレゼント!
360度見渡せる。 ぬけるような青空、遠くに渓谷そしてきれいな砂丘がどこまでも続く。
初めてサハラの風景を心から楽しめた。

この日の夕食は完食。

だが身体のダメージが強い、脈が速く身体も熱い。シュラフに潜り込んでも水と塩タブを取る。


10月31日
第6ステージ ~1-2km~

朝6時発。
砂漠を車でラリーのように凄いスピードでバスが待機する所へ移動。
時速何キロだ? 最後まで楽しませてくれるエジプシャン。
バスで5時間かけて最終ステージのギザの3大ピラミッドへ向かう。

男女2名の優勝選手の先導で1km先のゴールゲートへ向かう。
最後まで走る選手、観光気分で写真を撮りながらゴールへ向かう選手、それぞれのゴールがあった。

最後に お詫び。
ケンズバイクジャージでゴールすると約束しましたが、大会側の諸事情により食料を多めに持参しなければならなくなりました。
その為ジャージはホテルに置いて行きましたのでレース姿でのゴールになりました。


09:22 午前 レースレポート | | コメント (1)

2008年12月16日 (火)

第26回 川崎フルマラソン駅伝

Pc14031712月14日(日)は、恒例の行事になった川崎駅伝に出場してきました。
残念ながら、冷たい雨が朝から降る中での大会になりましたが、ケンズチームは男子・混合2チーム、壮年男子1チーム、女子1チームの計5チームが参戦。応援者も含めると40名弱も集まり、さらに軽部さんからは豚汁&コーヒーの差し入れがあり、寒さに負けない賑わいでした。
詳細の結果はA&A内の掲示板に張り出しておきますが、男子Aチームは見事に優勝!これもオリンピック効果でしょうか?

参加された皆さん、そして、応援・サポートに来て下さった方々、本当にお疲れ様でした。

07:51 午後 レースレポート | | コメント (0)

2008年5月 6日 (火)

サハラマラソンレポート

世界で最も過酷と言われるサハラマラソンに出場した村上久美さんから、レポートが届いています。サハラマラソンは、毎年3月下旬から4月上旬にかけてモロッコのサハラ砂漠でおこなわれるレースです。出場者はレースおよびキャンプに必要な装備を背負い7日間で6ステージ245kmを走ります。水はレース中の各チェックポイントとキャンプ地で大会スタッフから支給されますが、装備は各自工夫して用意し、その重量は10kg以上にもなります。出場者はロードブックとコンパスを使用してチェックポイントを目指します。地形は平地、岩場、砂丘などさまざまです。レース中の平均気温は35~40℃、最高気温は50℃に達することもあります。
レース中は1日あたり30~40kmを走りますが、1日だけオーバーナイトと言われる70km程度のステージがあります。オーバーナイトの後半はヘッドライトを使用した夜間走行になります。また1日のゴールに到着しても、ホテルがあるわけでもシャワーがあるわけでもありません。出場者は自ら火を起こすための薪を集め自炊しなければなりません。

村上さんはこのレースを見事に走破し、レポートを寄稿して下さいました。以下、レポートです。ご一読下さい。

------
23 MARATHON DES SABLES

世界で一番過酷(主催側の謳い文句)といわれているサハラマラソンに行ってきました。

3月26日
成田を飛び立ち12時間のフライトを経て、夕刻にパリ着。
ここで間寛平さん含めドイツ、スウェーデンから参加する日本人選手10人が揃った。801人の中のたった10人の日本人。レース期間中は同じテントで寝食を共にし、過酷なレースに挑むことになる。

3月27日
チャーター便にてモロッコへ向かう。
このチャーター便には、日本選手のほか、【国境なき医師団】とレーススタッフ達が乗り合わせていた。
この人たちが飲めや歌えやの大騒ぎ。挙句の果てには口笛まで飛び出した。
「日本では夜の口笛は忌み嫌われてるぞ」と内心毒づいていたものの、これからお世話になるであろう人達なので、寛容な気持ちで忍の一字。
しかし、レース中では、彼らの陽気さに何度も救われることになった。

3月28日
モロッコ、ワルザザードよりバスで6時間かけ、ベースキャンプへ到着。
今日よりテント生活が始まる。

3月29日
荷物検査の後、心電図提出。
昨年、開催以来2人目の死者がでた為か、40歳以上は負荷心電図提出が義務付けられていた。日本人選手の中で2名は現地での再検査を言い渡されたものの、無事にレース参加の許可が下りる。
しかし、メディカルテントにわざわざ心電図機器が用意されているとは。用意周到な医療設備を前にした私は、改めてレースの過酷さを実感する。
同行の人は女子選手の中では最高齢なので、完走さえすればエイジ優勝となるのでドーピング検査を受けさせられていた!
今日までは、催者側から食事が提供される。ビールもあり(レース前なのでさすが飲まなかった)まだ観光気分。

3月30日
ステージ1  29.3km  35.8℃  リタイア5名

今日より自炊。
朝6時。ベルベル人のスタッフが、選手達には有無を言わせずテントの撤去作業を開始する。選手達の荷物が片付いていようがいまいがベルベル人達はあくまでもマイペース。
いよいよスタートの時がやってきた。抜けるような青空の中をヘリが舞い、各国のメディア達がスタート地点に押し寄せる。
セレモニーが始まり、高揚感を誘う大音響の音楽が辺りを覆いつくした。
そして、スタッフの声援を受け、GO―――――――――!!!!
提供された発煙筒と水も加わって、背負った荷物はかるく11kgを超えていたが、これからのレースの興奮で、重さは感じなかった。
1.5kmですぐ砂丘。さらさらで綺麗な肌色の砂だが、油断をすれば足をとられてしまうので、ストックを使いながら慎重に歩を進める。
初日なので疲労感はほとんどないが、ラスト3kmの道のりはしんどかった。
いくつもの砂丘を越え、息も絶え絶えで登りあがると、またひたすらず~と砂丘。
キャンプ地が見えた時には、うれしさのあまり思わず走り出してしまった。
先にゴールしていた日本人選手やスタッフの歓声の中で無事ゴール。
今日の夕食は山菜ごはんと味噌汁、副菜?はソーセージ、美味~い!
シュラフにも大分慣れてきて、疲れている身体にはどんな寝床も極楽だ~!

3月31日
ステージ2  38km  40.0℃  リタイア6名

今日のコースは、干上がった川、草木地帯、塩湖平原が舞台となっており、砂丘よりは楽だとタカを括っていたが、すぐにそんな考えは甘いと悟る。
干上がった川底に散乱するごつごつとした固い石が、足底をダイレクトに襲い、草木地帯に生い茂る草々はどれも棘だらけで、油断すると足に切り傷を刻んでゆく。
塩湖平原に来る頃には、最も気温が上昇する時間帯に差し掛かり、照り返しが凄かった。塩によって白く染まった大地は乾ききっていて、所々が細かく捲れ上がっていた。私が歩を進めると煎餅のようにぱりぱりと小気味よく割れていき、砕けた破片が次々と私の足裏を刺激した。
面の皮よりも分厚いと思っていた、私の足裏もここらで見事にノックアウト。
この日からメディカルテント通いが日課となってしまい、おまけに給水の取り方が悪いのか、下痢になり毎日下痢止めを飲むことになる。
Dr.伊藤さんが処方してくれた下痢止めを服用。幸い食欲は落ちなかったので早々に食事を済ませ、睡眠確保。

4月1日
ステージ3  40.5km  48.0℃  リタイア18名

このステージはオール砂丘地帯で、痛んだ足に容赦なく砂が入る。
この日は朝から炎天下。あまりの暑さにもともと鈍い頭がさらに鈍化し、この日の記憶は所々が途切れてしまっている。サハラ恐るべし。
見渡す限りに砂丘が続き、底の知れないサハラの広さに圧倒された。もちろん緑など皆無で木陰で一休みなどと言っていられるような状況ではなく、テントのあるチェックポイントまで休憩を挟まずに歩こうと決めた。
黙々と足元だけを見て歩いていて疲労がピークに来た時、ふっと顔を上げるとラクダの親子が草を食んでいるのを見つけた。青い空に肌色の砂なんて綺麗なんだと思った時ふと気がついた。
サハラ砂漠には匂いも音もない、そこにあるのは延々と広がる砂漠に、身体を包み込む焼けた空気だけだ。
幻想的な発見にしばし歩を止めた。
そのうち、パウダーサンドを被った背の高い岩山に差し掛かる。砂を被ってしまっているせいで、足をとられやすい。
ここまでくると、マラソンというよりトレッキングと呼んだ方がふさわしい気がする。
気付けば、辺りも大分暗くなってしまい、道を迷いそうになりライトを持っていた他国の選手の後ろを着いていく。
この日も何とか無事クリアー。

4月2日
ステージ4  75.5km  リタイア21名
1日目  34.1℃/2日目  42.5℃

ステージ4は2日間を通したノンストップステージだ。スタート地点から46.5km離れたところに設けられた【チェックポイント4】まで走破した後は、どのタイミングで仮眠を取ろうと、選手の自由とされている。もちろん、仮眠を取らずに75.5kmを突っ走るのもありなわけで、私から言わせれば、彼らはモンスターだ。
私の両足は絶えず悲鳴をあげている。
もう限界はすんでのところまで迫っているように思えたものの、斜度25%の岩山に差し掛かった時には痛みなど吹き飛んでいた。
なにしろ、この岩山は酷かった。分厚い砂の層が足を滑らせ、思うように前へ進めない。滑落防止用のロープを伝いながら、ほとんど四つんばいの姿勢をとる。我ながら情けない格好だ。この大会は、マラソンでもなく、トレッキングでもなく、アスレチックになってしまっているけど、究極の難関はその先の岩山にあった、足が届かな~い。
ここで、また助けられる。今度は刺青を入れた強面の男性だった。
彼は笑顔を見せつつ「ヘルプ ユー」と一言。
腰を支えてもらいつつ、難関を無事クリアー。
cp3ですでに薄暗くなってきたのでここで食事を取ることにした。
ライトは軽量化を図ったばかりに新月の砂漠には少し心元ない明かりで、関門のcp4まで一山越えないとならないので不安は募る。
もう誰かに着いて行こうと決めて人の良さそうな英国の5人組みの後を背後霊のように着いて行き何とか関門クリアー。
私はここで仮眠を取ることにしてシュラフに潜り込むがテントもない野営なので満天の星空が見える。
満天の星空の中、cp4からゴール地点までサーチライトが虹のようにつながっている、私はこれを見たくてサハラに来たんだと思うと涙が止まらなかった。
朝6時にゴール目指し出発、夜に走ることを前提にしているせいかほとんどフラットでひたすら我慢の歩きだったが、私の後ろからラクダを従えたベルギー人がやって来た。
キャンプでは先に着いた選手、スタッフ、メディアが大声援で出迎えてくれて2人一緒にゴール!
翌日には選手達からきのうはよくやったと(たぶん?)握手をされ、この頃から共に難関をクリアーした者だけが分かる運命共同体のような雰囲気が生まれてきた。

4月4日
ステージ5  42.2km  46.7℃  リタイア4名

足の痛みはもう限界を超えていているが、黙々とCPを目指して歩く。日本では経験できない灼熱の空気に取り込まれ、意識がぶれ始めた。仕方なく文字通りに命の糧である水を頭からけると、ほんのつかの間だけ、清涼な感覚を味わえるが、そこは、やっぱり、サハラ。
十五分としないうちに乾ききってしまう。
マーシャルの車も今までにないほど巡回しては、声をかけてくる。
最初はありがたいもんだと素直に彼らの厚意を受け取っていたが、何度も来られるとうんざりしてくる。
かといって、彼らに元気な姿を見せないと、「目を見せろ、塩タブをこの場で飲め」と突っ込まれてしまうので、親指を立てて「I am ok!」と元気に答える。
いい加減疲労も蓄積しているので、これだけで疲れてしまうのよねー。
やっとの思いで最後のCPに到着すると、蛍光スティックを渡された。
日が暮れると、私の周りには誰もいなくなっていた。
涙を飲んでリタイアした選手達、すでに先に進んでしまった選手達の狭間で私は取り残されていた。
闇の中を孤独に歩く自分に気付き、胸の底が不安の澱でいっぱいになった。この広いサハラでは、私なんて無数の砂の一つとなんら変わり無い。
少しでも軽量化をと思い、簡素なライトしか持ってこなかったのは失敗だった。ライトの光はあまりにも微弱で心許無く、天に瞬く星の方がよっぽど明るかった。
ルートを示す発光塗料の光が、地平線まで広がる星の中に溶け込んでしまい、私は目印を見失ってしまった。
パニくった私は正常な判断力を失ってしまい、無闇に砂漠の中を駆け回った。
こんなところでリタイアしたくない!!!
今にも崩れそうななけなしの意地だけが、ぎりぎりのところで私の身体を突き動かした。
足の痛みも、背中に圧し掛かる荷物の重みも気にならない。
ゴールしたい!!!
その一心だった。
やっと見えてきたキャンプ地。その手前で、二人の選手が私と伴走してくれ、下るよ、そこに石があるから気をつけてといった具合に、ナビをしてくれる。
ゴールでは先に到着していた日本の仲間やスタッフが出迎えに来てくれた。
彼らの声援を受けつつゴール。本当に嬉しかった。

4月5日 17.5㎞ 気温未発表 リタイア0名

今日は最終ステージ。朝からお祭り騒ぎだった。
毎朝執り行われたセレモニーも今日が最後だと思うと一抹の寂しさを感じる。
エネルギーを枯渇させた私は、開き直って歩き続けることに決めた。もう身体はぼろぼろだ。
ゴールを目指しながら色々なことを考えさせられた。
マラソンは一人でもできるスポーツではあるけど、決して孤独なスポーツではないということも知った。スタッフ達や他の選手からの温かい言葉や声援、そしてケンズの皆さんからのメールにはとても励まされました。
そして、ごく一部ではあるけど、垣間見てしまったアフリカの貧しさだとか。日本では無尽蔵な消費社会が今なお続いてしまっている。アフリカに暮らす方たちの生活を思い、これからは自分に出来るエコロジーを考えていこうと思った。
町に入ると今までにない糞尿などの混じった悪臭が鼻をついた。
しかし、それは、良くも悪くもそこに人々が暮らしているという証なのだ。
アスファルトの向こうに、夢見たゴールが見える。

そして。

私はゴールした。

やった~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

雄大で壮大で、ちょっぴり幻想的でもあるサハラを舞台にした一週間。
こんなにエキサイティングで楽しく笑顔でいられた事は今まででなかった。

07:29 午後 レースレポート | | コメント (0)

2007年12月25日 (火)

宮田和明さん 2007ironman HAWAII レースレポート

今年度のアイアンマンハワイに出場した宮田和明さんから、レースレポートが届きました。
ぜひご一読下さい。


⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂

初めてのHAWAII。KONA空港に着いた。50日程前に(IRONMAN)CANADAより帰国したばかりなのでKONA空港に着いての感慨は余り無かった。空港から車で15分にて宿泊するホテルに到着。スタート・ゴールも目の前。5Fの部屋から海も一望でき眼下の駐車場にはカーボ・パーティの会場。夜には会場の大画面の映像とリハーサルを見学できた。

レース前夜は熟睡する為の“儀式”をして就寝。レース当日の朝は4時起床。
ボディナンバリングをして気持はレースモード。
スイムスタート(7時)の10分前に海に入るが少し海水が冷たく感じられたので再度岸に上がり小休止。5分前に海に入りのんびりペースでスタートラインに向かう。トライアスロンを始めて11年目にして「最高の舞台のスタートラインで待つ気持ちはどんなもんだろう」との想いで期待が膨らむ。残り10mでスタートラインと思った瞬間に号砲が鳴った。スタートラインでの感慨を得る暇は無かった。海で泳ぐIRONMANは7年ぶり。ウエットスーツ無は初めて。下手なスイムフォームを矯正してくれるウエットスーツ無のレースはカナヅチの小生には心もとなかった。CANADA(2600人)と比較してHAWAII(1800人)は出場選手が少なく、スイムコースの横幅が広く、後方で泳ぐのでバトルにはならなく楽しんで泳げたが途中で腰に疲れを感じる。スイムゴール直前で岸に上がる階段で左脚に痛みを感じた。10日程前にラン練習中に左脚首を捻挫した影響が出た。その後に痛みを感じる事は無かった。
スイムラップ 1:14:52  1115位。 →IRONMAN自己ワースト。(残念)

Miyata_bikeバイク置き場にバイクは殆ど無かった。(みんな速いな~)。
バイクスタート。このエリアだけは応援が凄い。後で判った事だがツールド・フランスで活躍したフランスの英雄「ローラン・ジャラベール」より数十秒速くバイクスタートした為にスタート直後に抜かれた様だ。「ジャジャ」に抜かれる事は光栄だ。
バイクにはスピードメータを装着しないので心拍計だけが頼り。RUNに期待を込めて心拍数を抑えて走る。強い日差しと緩やかなUP/DOWNにより疲労が増した。事前に「HAWAIIはドラフティングチェックが厳しい」と聞いていたので注意を図るが、遅い順位で走るのでマーシャルは殆どいなかった。(遅いので対象外か?)自分と同じようなペースの人は女性か五十歳以上の男性ばかり。(みんな速いな~)
BIKEラップ 6:06:16 → IRONMAN自己ワースト(残念) 通過順位1106位 

Miyata_runRUNスタート時点で7時間30分を越えていた。キロ4:30に設定して走るが心拍数は150になる。CANADAの時はキロ4:30で140であった事から後半はバテル可能性が大で今日のRUNは厳しいと感じた。今年のレース(新島・伊豆大島・CANADA)ではRUNパートで抜かれた事は無かったので“今日も抜かれまい頑張ろう”との想いで自分を奮い立たせた。遅い順位よりRUNスタートした為か抜かれる事は無かった。15km地点よりペースが落ちる。既にバテバテ。30kmから心拍数150の維持は辛くなり気持ちで走る。吐き気がするが気合で押さえ込み粘って走り続けた。35kmよりキロ5分を超えた。今年初めてRUNパートでサクッと抜かれて悔しい思いをした。溶岩台地にアスファルトがひかれたRUNコースには強い日差しを遮る物は無く、地平線と水平線に挟まれ厳しくも寂しいコースと感じた。(調子が良ければ違う感想になるのだろう)ゴール前は海岸線を走り熱烈な応援を受けて最後の頑張り。99年に初めてのIRONMAN(CANADA)より9年目にして初めてのWORLD CHAMPIONSHIPのゴールは目の前だ。
ゴールした瞬間の気持ちは“最高のバンザ~イ”
RUNラップ 3:23:51   総合時間10:55:48  総合順位775位。

小生をWORLD CHAMPIONSHIPのゴールに導いていて頂いたチームケンズのスタッフ・選手・コーチ・スクール仲間らに感謝します。

12月上旬、エアメールにて「OFFICIAL FINISHER」が手元に届き2007年WORLD CHAMPIONSHIPの幕は閉じた。

⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂

08:49 午前 レースレポート | | コメント (0)

2007年8月30日 (木)

宮田和明さんレースレポート

宮田和明さんから Ironma Canada のレースレポートが届きました。

------
IRONMAN CANADA報告です。
2588人スタート。苦手SWIMは1:05:28予定通り、総合342位、エイジ60位/393人。
BIKE70kmでリア変速機故障。メカニックでも直せず5分ロス。再スタート残り110kmは53T×25TのFIXで走る。下りと平坦は空回り。上りは全開で走り、平坦と下りは軽く抜かれてもナスすべ無し。気持ちは切れなかった。RUNに期待を込め今は我慢。BIKE5:47:24、予定より17分遅れ。総合543位・エイジ114位/393人。
さー、楽しいRUNが始まる。そして奇跡が起きた!!
RUNが始まった。勝負は後半と位置付け前半21km迄はバネは使わず心拍数140に抑えて4分30秒/kmで1時間35分。勝負の後半が始まった。脚の疲労感は殆ど無い!。イケル感触でニコニコ。21-30kmは心拍数150、30-42kmは心拍数160に上げた。35kmから両足の大腿部が筋肉痛だが問題無く走れた。後半4分10秒/kmで1時間28分。ラップ3:03:35で予定より7分速い!。ラン総合11位、エイジ1位/393人。総合10:06:23、82位/2588人。エイジ9位/393人。ハワイ枠9人。
初めてのハワイ。応援ありがとうございました。

10:11 午前 レースレポート | | コメント (0)

2007年6月25日 (月)

齋藤徹さんレースレポート

スクール会員の齋藤徹さんからの2007アイアンマンジャパンレースレポートが届きました。ご一読下さい。

【プロローグ】
長崎の五島で開催されるようになった2001年から毎年エントリーし、直前の怪我でDNSとなった2005年以外は毎年フィニッシュしている。今までの自己ベストは昨年の13時間35分19秒だが、今年は今まで以上にスイム、バイク、ランとも練習ができており、おまけにバイクコースが易しくなったとの情報もあり、油断せずに最善を尽くせば自己ベスト更新は可能。
関東が梅雨入りした6月14日に河原選手と一緒に五島入り。大会前日の土曜日までは雨基調で天気も心配されたが、大会当日は雨も止み、風も無い状況で、スイム会場の大漁旗もおとなしくうなだれ、海もなぎ。ただし、晴れて暑くなる予感が。
スイム会場では、今回参加のケンズ選手団全員にも会え、スイムチェックを受けて海に入る。

【気象状況】
曇りのち晴れ、南よりの風最大4m程度、最高気温29度、スイム時水温22度

【スイム】
ホーンと大漁旗の合図で2007年6月17日午前7時過ぎにスイムからアイアンマンジャパンがスタート。
フローティングの待機場所として人が少なく気に入っている突堤の先の足が付かなくなった所から泳ぎ出す。
バトルは避け、危険そうな人には近づかずマイペースを心がける。1周回目の折り返しがいやに遠いと感じつつとにかく1周終了。体感としては40分以上かと思ったが実際のタイムを見ると35分台と今までの最速なので2周目に落ち着いて突入する。2周回目の途中でケンズウエットの女子選手を発見。なんとスクールの鯉沼さんだったので、自分がいいペースで泳げているのが分かって安心。その後は人もバラけバトルもなくなったのでマイペースをキープし泳ぎ続けてフィニッシュへ。タイムは、ベストタイムでチョッとビックリ。モニターで使わせてもらったケンズの新作ウエットのお陰か?
(タイム1時間15分28秒、251位)

【バイク】
P1080024トランジションでトーシンや他スポンサー名もバッチリはいった2007年バージョンのケンズ選手バイクウエア上下を着て出発する。ウエアを着るのに手間取って、テントの中で結構抜かれた感じ。
走り出すと、昨年の雨と違い、天気は晴れてきて、路面を気にすることなくいい感じ。25キロ過ぎでスクールの羽山さんに追い付かれ、あっという間に見えなくなってしまった。が、今年の宮古島でサブ10なので一緒に行けるはずはない。バイクコースは大幅に変更があり、長い登りと下りが無くなったので楽になったような、回し続ける部分が長くなったので大変なような、微妙な感じだ。補給も確実に、暑くなってきたので水分補給に特に気を付けて走り続ける。体感的には昨年までと同じ感じだが、練習の成果か例年より早いペースで走り続け、トップに周回されることも無くバイクフィニッシュへの登り坂に。そこで既にラン8km地点のスクールの鈴木麻美子さん(既にニュージーランドでハワイゲット)に声をかけられる。バイクの走りこみと、バーコンと新決戦ホイールの成果かバイクも自己新でフィニッシュ。
(タイム6時間34分35秒*、331位、通過タイム8時間50分03秒、308位)
*スイム→バイク、バイク→ランのトランジションタイムはバイクタイムに含まれる。

【ラン】
P1080023トランジションではバイクウエアのままランシューズに履き替え、キャップと補給食を抱えて出発する。暑くなってきたので給水には気をつけて走り出す。キロ6分ペースを出来るだけ維持しようと走り続ける。10キロまではほぼ6分、20キロでは2時間3分で補給も予定通りで走り続けることが出来た。最初は暑さで走り辛い印象だったが、10キロ過ぎからはいい感じに走れた。鬼岳周回の2周回目の30キロ手前で、バイクで追い抜かれた羽山さんに何故か追い着く。理由は肉離れということで、持って走っていたクランプストップも補給食も役には立たず残念。こちらも必死で最後の10キロのアップダウンへ。何とか市内が見えてくる39キロ地点までは辿り着いたものの、ここで明らかにペースダウン。それでも、残り3キロだったので何とか市内を走り、お城のお堀を渡って、五島高校のフィニッシュラインへ。河原選手をスタンドに確認し飛び跳ねてフィニッシュラインを越えた。ランも実は自己新。どうして???
(タイム4時間31分31秒、259位)
(トータル12時間21分34秒、総合269位、カテゴリーF30位)

【エピローグ】
今年は800人弱のエントリーで、実際のレース参加は700人強で完走は642名であったので上出来の結果だ。しかもバイクコースが簡単(意見はいろいろあるようです)になっただけでは説明困難な1時間15分近くの自己ベストとなった。エイジが上がっても、まだ自己ベストが出せたのは、スクールでのコーチの指導、スクール仲間との練習の結果かと思う。来年に向けては今年のフィニッシュラインがスタートラインだ。
2007年のアイアンマンジャパンは、6名のケンズ選手団で、河原選手、高橋さん、鯉沼さんの3名がハワイゲットというスクールとしては驚異的な結果であった。

09:06 午後 レースレポート | | コメント (0)