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2008年5月 6日 (火)

サハラマラソンレポート

世界で最も過酷と言われるサハラマラソンに出場した村上久美さんから、レポートが届いています。サハラマラソンは、毎年3月下旬から4月上旬にかけてモロッコのサハラ砂漠でおこなわれるレースです。出場者はレースおよびキャンプに必要な装備を背負い7日間で6ステージ245kmを走ります。水はレース中の各チェックポイントとキャンプ地で大会スタッフから支給されますが、装備は各自工夫して用意し、その重量は10kg以上にもなります。出場者はロードブックとコンパスを使用してチェックポイントを目指します。地形は平地、岩場、砂丘などさまざまです。レース中の平均気温は35~40℃、最高気温は50℃に達することもあります。
レース中は1日あたり30~40kmを走りますが、1日だけオーバーナイトと言われる70km程度のステージがあります。オーバーナイトの後半はヘッドライトを使用した夜間走行になります。また1日のゴールに到着しても、ホテルがあるわけでもシャワーがあるわけでもありません。出場者は自ら火を起こすための薪を集め自炊しなければなりません。

村上さんはこのレースを見事に走破し、レポートを寄稿して下さいました。以下、レポートです。ご一読下さい。

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23 MARATHON DES SABLES

世界で一番過酷(主催側の謳い文句)といわれているサハラマラソンに行ってきました。

3月26日
成田を飛び立ち12時間のフライトを経て、夕刻にパリ着。
ここで間寛平さん含めドイツ、スウェーデンから参加する日本人選手10人が揃った。801人の中のたった10人の日本人。レース期間中は同じテントで寝食を共にし、過酷なレースに挑むことになる。

3月27日
チャーター便にてモロッコへ向かう。
このチャーター便には、日本選手のほか、【国境なき医師団】とレーススタッフ達が乗り合わせていた。
この人たちが飲めや歌えやの大騒ぎ。挙句の果てには口笛まで飛び出した。
「日本では夜の口笛は忌み嫌われてるぞ」と内心毒づいていたものの、これからお世話になるであろう人達なので、寛容な気持ちで忍の一字。
しかし、レース中では、彼らの陽気さに何度も救われることになった。

3月28日
モロッコ、ワルザザードよりバスで6時間かけ、ベースキャンプへ到着。
今日よりテント生活が始まる。

3月29日
荷物検査の後、心電図提出。
昨年、開催以来2人目の死者がでた為か、40歳以上は負荷心電図提出が義務付けられていた。日本人選手の中で2名は現地での再検査を言い渡されたものの、無事にレース参加の許可が下りる。
しかし、メディカルテントにわざわざ心電図機器が用意されているとは。用意周到な医療設備を前にした私は、改めてレースの過酷さを実感する。
同行の人は女子選手の中では最高齢なので、完走さえすればエイジ優勝となるのでドーピング検査を受けさせられていた!
今日までは、催者側から食事が提供される。ビールもあり(レース前なのでさすが飲まなかった)まだ観光気分。

3月30日
ステージ1  29.3km  35.8℃  リタイア5名

今日より自炊。
朝6時。ベルベル人のスタッフが、選手達には有無を言わせずテントの撤去作業を開始する。選手達の荷物が片付いていようがいまいがベルベル人達はあくまでもマイペース。
いよいよスタートの時がやってきた。抜けるような青空の中をヘリが舞い、各国のメディア達がスタート地点に押し寄せる。
セレモニーが始まり、高揚感を誘う大音響の音楽が辺りを覆いつくした。
そして、スタッフの声援を受け、GO―――――――――!!!!
提供された発煙筒と水も加わって、背負った荷物はかるく11kgを超えていたが、これからのレースの興奮で、重さは感じなかった。
1.5kmですぐ砂丘。さらさらで綺麗な肌色の砂だが、油断をすれば足をとられてしまうので、ストックを使いながら慎重に歩を進める。
初日なので疲労感はほとんどないが、ラスト3kmの道のりはしんどかった。
いくつもの砂丘を越え、息も絶え絶えで登りあがると、またひたすらず~と砂丘。
キャンプ地が見えた時には、うれしさのあまり思わず走り出してしまった。
先にゴールしていた日本人選手やスタッフの歓声の中で無事ゴール。
今日の夕食は山菜ごはんと味噌汁、副菜?はソーセージ、美味~い!
シュラフにも大分慣れてきて、疲れている身体にはどんな寝床も極楽だ~!

3月31日
ステージ2  38km  40.0℃  リタイア6名

今日のコースは、干上がった川、草木地帯、塩湖平原が舞台となっており、砂丘よりは楽だとタカを括っていたが、すぐにそんな考えは甘いと悟る。
干上がった川底に散乱するごつごつとした固い石が、足底をダイレクトに襲い、草木地帯に生い茂る草々はどれも棘だらけで、油断すると足に切り傷を刻んでゆく。
塩湖平原に来る頃には、最も気温が上昇する時間帯に差し掛かり、照り返しが凄かった。塩によって白く染まった大地は乾ききっていて、所々が細かく捲れ上がっていた。私が歩を進めると煎餅のようにぱりぱりと小気味よく割れていき、砕けた破片が次々と私の足裏を刺激した。
面の皮よりも分厚いと思っていた、私の足裏もここらで見事にノックアウト。
この日からメディカルテント通いが日課となってしまい、おまけに給水の取り方が悪いのか、下痢になり毎日下痢止めを飲むことになる。
Dr.伊藤さんが処方してくれた下痢止めを服用。幸い食欲は落ちなかったので早々に食事を済ませ、睡眠確保。

4月1日
ステージ3  40.5km  48.0℃  リタイア18名

このステージはオール砂丘地帯で、痛んだ足に容赦なく砂が入る。
この日は朝から炎天下。あまりの暑さにもともと鈍い頭がさらに鈍化し、この日の記憶は所々が途切れてしまっている。サハラ恐るべし。
見渡す限りに砂丘が続き、底の知れないサハラの広さに圧倒された。もちろん緑など皆無で木陰で一休みなどと言っていられるような状況ではなく、テントのあるチェックポイントまで休憩を挟まずに歩こうと決めた。
黙々と足元だけを見て歩いていて疲労がピークに来た時、ふっと顔を上げるとラクダの親子が草を食んでいるのを見つけた。青い空に肌色の砂なんて綺麗なんだと思った時ふと気がついた。
サハラ砂漠には匂いも音もない、そこにあるのは延々と広がる砂漠に、身体を包み込む焼けた空気だけだ。
幻想的な発見にしばし歩を止めた。
そのうち、パウダーサンドを被った背の高い岩山に差し掛かる。砂を被ってしまっているせいで、足をとられやすい。
ここまでくると、マラソンというよりトレッキングと呼んだ方がふさわしい気がする。
気付けば、辺りも大分暗くなってしまい、道を迷いそうになりライトを持っていた他国の選手の後ろを着いていく。
この日も何とか無事クリアー。

4月2日
ステージ4  75.5km  リタイア21名
1日目  34.1℃/2日目  42.5℃

ステージ4は2日間を通したノンストップステージだ。スタート地点から46.5km離れたところに設けられた【チェックポイント4】まで走破した後は、どのタイミングで仮眠を取ろうと、選手の自由とされている。もちろん、仮眠を取らずに75.5kmを突っ走るのもありなわけで、私から言わせれば、彼らはモンスターだ。
私の両足は絶えず悲鳴をあげている。
もう限界はすんでのところまで迫っているように思えたものの、斜度25%の岩山に差し掛かった時には痛みなど吹き飛んでいた。
なにしろ、この岩山は酷かった。分厚い砂の層が足を滑らせ、思うように前へ進めない。滑落防止用のロープを伝いながら、ほとんど四つんばいの姿勢をとる。我ながら情けない格好だ。この大会は、マラソンでもなく、トレッキングでもなく、アスレチックになってしまっているけど、究極の難関はその先の岩山にあった、足が届かな~い。
ここで、また助けられる。今度は刺青を入れた強面の男性だった。
彼は笑顔を見せつつ「ヘルプ ユー」と一言。
腰を支えてもらいつつ、難関を無事クリアー。
cp3ですでに薄暗くなってきたのでここで食事を取ることにした。
ライトは軽量化を図ったばかりに新月の砂漠には少し心元ない明かりで、関門のcp4まで一山越えないとならないので不安は募る。
もう誰かに着いて行こうと決めて人の良さそうな英国の5人組みの後を背後霊のように着いて行き何とか関門クリアー。
私はここで仮眠を取ることにしてシュラフに潜り込むがテントもない野営なので満天の星空が見える。
満天の星空の中、cp4からゴール地点までサーチライトが虹のようにつながっている、私はこれを見たくてサハラに来たんだと思うと涙が止まらなかった。
朝6時にゴール目指し出発、夜に走ることを前提にしているせいかほとんどフラットでひたすら我慢の歩きだったが、私の後ろからラクダを従えたベルギー人がやって来た。
キャンプでは先に着いた選手、スタッフ、メディアが大声援で出迎えてくれて2人一緒にゴール!
翌日には選手達からきのうはよくやったと(たぶん?)握手をされ、この頃から共に難関をクリアーした者だけが分かる運命共同体のような雰囲気が生まれてきた。

4月4日
ステージ5  42.2km  46.7℃  リタイア4名

足の痛みはもう限界を超えていているが、黙々とCPを目指して歩く。日本では経験できない灼熱の空気に取り込まれ、意識がぶれ始めた。仕方なく文字通りに命の糧である水を頭からけると、ほんのつかの間だけ、清涼な感覚を味わえるが、そこは、やっぱり、サハラ。
十五分としないうちに乾ききってしまう。
マーシャルの車も今までにないほど巡回しては、声をかけてくる。
最初はありがたいもんだと素直に彼らの厚意を受け取っていたが、何度も来られるとうんざりしてくる。
かといって、彼らに元気な姿を見せないと、「目を見せろ、塩タブをこの場で飲め」と突っ込まれてしまうので、親指を立てて「I am ok!」と元気に答える。
いい加減疲労も蓄積しているので、これだけで疲れてしまうのよねー。
やっとの思いで最後のCPに到着すると、蛍光スティックを渡された。
日が暮れると、私の周りには誰もいなくなっていた。
涙を飲んでリタイアした選手達、すでに先に進んでしまった選手達の狭間で私は取り残されていた。
闇の中を孤独に歩く自分に気付き、胸の底が不安の澱でいっぱいになった。この広いサハラでは、私なんて無数の砂の一つとなんら変わり無い。
少しでも軽量化をと思い、簡素なライトしか持ってこなかったのは失敗だった。ライトの光はあまりにも微弱で心許無く、天に瞬く星の方がよっぽど明るかった。
ルートを示す発光塗料の光が、地平線まで広がる星の中に溶け込んでしまい、私は目印を見失ってしまった。
パニくった私は正常な判断力を失ってしまい、無闇に砂漠の中を駆け回った。
こんなところでリタイアしたくない!!!
今にも崩れそうななけなしの意地だけが、ぎりぎりのところで私の身体を突き動かした。
足の痛みも、背中に圧し掛かる荷物の重みも気にならない。
ゴールしたい!!!
その一心だった。
やっと見えてきたキャンプ地。その手前で、二人の選手が私と伴走してくれ、下るよ、そこに石があるから気をつけてといった具合に、ナビをしてくれる。
ゴールでは先に到着していた日本の仲間やスタッフが出迎えに来てくれた。
彼らの声援を受けつつゴール。本当に嬉しかった。

4月5日 17.5㎞ 気温未発表 リタイア0名

今日は最終ステージ。朝からお祭り騒ぎだった。
毎朝執り行われたセレモニーも今日が最後だと思うと一抹の寂しさを感じる。
エネルギーを枯渇させた私は、開き直って歩き続けることに決めた。もう身体はぼろぼろだ。
ゴールを目指しながら色々なことを考えさせられた。
マラソンは一人でもできるスポーツではあるけど、決して孤独なスポーツではないということも知った。スタッフ達や他の選手からの温かい言葉や声援、そしてケンズの皆さんからのメールにはとても励まされました。
そして、ごく一部ではあるけど、垣間見てしまったアフリカの貧しさだとか。日本では無尽蔵な消費社会が今なお続いてしまっている。アフリカに暮らす方たちの生活を思い、これからは自分に出来るエコロジーを考えていこうと思った。
町に入ると今までにない糞尿などの混じった悪臭が鼻をついた。
しかし、それは、良くも悪くもそこに人々が暮らしているという証なのだ。
アスファルトの向こうに、夢見たゴールが見える。

そして。

私はゴールした。

やった~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

雄大で壮大で、ちょっぴり幻想的でもあるサハラを舞台にした一週間。
こんなにエキサイティングで楽しく笑顔でいられた事は今まででなかった。

07:29 午後 レースレポート |

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